見顧の丘とは、旧広瀬トンネルをつぶして、新トンネルを掘ったときに 作られた、旧トンネルを作った先人たちの苦労を労うために作られた公園です。 撮影場所表示 |
建設の経緯が記されています。 見顧の丘 この場所には、平成七年まで広瀬 隧道の入り口がありました。 このトンネルが出来るまでは波多打川 沿いの急峻な斜面を切り開いて作られた 狭い道路しかなく、災害により度々 崩落する為、地区住民はトンネルの 建設を切望していました。 大正時代にトンネル建設の計画が 持ち上がりましたが、当時は資金もなく とても実現できるものではありません でした。実際に計画が現実のものと なるまでには約半世紀を待たなくては なりませんでした。 昭和二十九年、地区住民の夢でもあった トンネル建設が着工され、昭和三十二年に 待望のトンネルが完成しました。 完成後は地区の産業の発展に大きな 役割を担ってきましたが、このトンネルも 平成七年、新しいトンネルの開通と共に 入り口を塞がれ、三十七年間の役目を 終えました。 この公園は先人たちの苦労の歴史を 少しでも後世に伝えようと平成十八年 に整備され「見顧の丘」と命名され ました。 平成十九年三月吉日 |
石段を登っていくと、旧隧道のプレートのみ確認できます。 |
トンネルは埋められてしまいました。 |
反対側は影も形もありません。 |
これが現在の「広瀬トンネル」。トラックも余裕で通れる快適な道路。 きっと第二東名や中部横断道建設用トラックが通りやすいように このような広いトンネルが掘られたのだと思います。 |